WEB版『テラカツ!』寺院活性化事例紹介(第9回)

2024.10.23

『テラカツ!』は曹洞宗宗務庁より毎月発行されている『曹洞宗報』にて連載されていました。全国曹洞宗青年会の出向者が聞き手となり、全国各地で活発に活動されている青年僧侶の方々を紹介しています。寺院運営も厳しくなってきていると言われている昨今ですが、各地の事例を参考にして、ご自坊をもり立ててみませんか?

第9回 奈良県大和郡山市・久松寺

 約90年前に倒壊し長く空き寺となったお寺の再建と、そこから始まった老若男女が和気あいあいと笑顔で集まれるようになった「空手道場」のお話を、奈良県妙光山久松寺住職の丸子道仁師にお聞きしました。

<プロフィール>
妙光山久松寺住職 丸子道仁師

駒澤大学卒業後大本山總持寺安居。
平成24年住職となる。
空手道MAC奈良郡山道場責任者。

―お寺で空手道場を始めたきっかけを教えてください。

丸子道仁師 奈良県大和郡山市にある久松寺は昭和9年の室戸台風によりすべて倒壊し、それから長い年月に渡りお墓だけが残っている状態でした。平成20年に私の師匠がご縁をいただき、本堂を再興させていただくことができました。外観は公民館に近い近代的な様相で、あまりお寺らしくないものでしたが、そこから久松寺のお寺としての活動が再出発いたしました。当然ながら初めのうちは檀信徒の方々が少ないお寺でした。スポーツクラブで仕事をしながら、また他所での空手道場を続けながら生計を立てつつ、少しずつ活動を広げていました。
 そんな中ご縁あって、平成23年から全国曹洞宗青年会へ出向し、全日本仏教青年会特別委員会として東日本大震災復興支援ボランティア活動や国際交流プログラムなどに参加させていただきました。その活動の中で海外の仏教者と日本の仏教者の違いや、日本の仏教者に求められるものについて多くを考える機会をいただきました。
 あるとき、海外の仏教信者の方から、日本の僧侶が長靴を履いて災害時ボランティアに駆け回る姿や、街に出て様々な仕事をしながら地域と関わっている姿がとても新鮮で好印象であることを聞きました。私の中でそれまでありました日本僧侶の俗っぽさに対するコンプレックスが、実は胸を張るべき側面もあるのだと教えられました。
 布教活動はもっと自由でいいのかもしれない、そう思えたきっかけでした。久松寺の本堂は欅の板間であったこともあり、そこに4センチの分厚いマットを敷き詰めてお寺でも空手を教えるようになりました。本尊十一面観世音菩薩さまの前で、子どもたちと大声で気合を入れたり、汗だくになって飛んだり跳ねたり、泣いて笑って修行することが始まりました。

―なぜ空手道を選んだのでしょうか?

丸子師 たまたま私ができることが空手道だったことは大きいです。多くの人は空手道のイメージとして「痛い」「きつい」「しんどい」と思っています。これはあながち間違っていないのですが、だからこそ、そこを乗り越えて前に進むこと、心身共に強くなることに価値があると考えています。空手道は姿勢や呼吸を大切にしています。姿勢が悪いとすぐにバテてしまい、連続した動きの中で次の動作へと繋がっていきません。上手くいかないときに何故なのか考えてみると、姿勢が悪かったことに行きつきます。
 呼吸は相手からダメージを受けたときに、体に溜めずに外に出すために重要になってきます。このことは、坐禅とも非常に親和性が高くなじみやすいところでした。稽古の前後には各3分ほど坐禅を行っています。初めは坐禅会に繋げるための空手道としてスタートしましたが、今では違和感なく両立して続けられています。

―住職として檀務などと両立して継続することは大変なことかと思いますが、年数や生徒数、練習の頻度など教えてください。

丸子師 空手道場を始めた2年ほどは5~10人程度の生徒さんしかおりませんでしたが、3年目くらいから口コミで広がり、大きく生徒数が増えました。今年で13年目となりますが、今は50人程度の生徒さんがいます。練習は火、水、木、金曜日に行っています。お通夜と重なることもよくありますが、生徒さんたちにはご理解をいただけているので、よく変更させてもらっています。
 さらに以前は月に1度、土曜日の朝に坐禅会をメインにして空手道、そして粥を食べる「朝がゆの会」を開いていました。こちらは道場の生徒さんの参加に加えて近くの大人の方々も多く参加してくれていました。大本山の朝の行事を模した、プチ修行のような内容ですので、浄人も参加者が行ってくれていました。しかし、新型コロナウイルスの影響で、飲食関係のイベントということもあり開催できなくなりました。また再開できたらいいなと思っています。

―空手道の稽古の他にも道場の生徒さんや地域住民の方々と、様々な活動をされているようですが、「報恩作務の日」について教えてください。

丸子師 お寺が再興する前から年に1度、墓地を管理されていた長老さんたちが、お寺に集まり境内の清掃をされていました。そこに道場の生徒さんたちも加わり、今では一緒に取り組んでいます。
 道場の生徒さんたちは久松寺のお檀家さんではないので、墓地におられる仏さまとは直接の関わりはありません。しかし、古くからこの場所に久松寺があり、1度すべて倒壊してもお寺が存続し、再興することができたことは地域の仏さまの尽力があってこそ、ということ。そして、昔から繋がられてきたご縁があって、久松寺で空手道を今習えることを当たり前に思わずに、大事にしてもらいたいと思っています。見えない力やつながりが、回り廻って自分の力になってくれると思いますので、報恩作務の日をきっかけに感じていただきたいです。
 清掃が終わったらお楽しみの時間も用意しています。夏に報恩作務の日を行っているので、流しそうめんや夕方からは花火を楽しみ、地域住民と道場の生徒さんたちとの交流の場所にもなっています。

―新型コロナウイルスの影響で取り巻く環境も大きく変わったと思いますが、どのように対応されましたか?

丸子師 先ほどお話した「朝がゆの会」は中断になりましたし、他にもコロナ最初の1年目は大会や演武会など何もかも無くなりました。2年目くらいから大会は開催されましたが、マスク着用の制限がありました。最近ようやくマスクも必要なくなりました。私の道場では「組手」と「型」の両方を教えています。新型コロナウイルスの5類への移行に伴って直接組み合わない「型」を披露する演武会が少しずつ戻ってきました。近くの介護施設やケアホーム、企業や神社などとのつながりも取り戻していけると思います。

―演武会とはどのようなものでしょうか?

丸子師 神社では玉串を納めてから奉納演武をさせていただき、企業では毎年夏まつりを開催していて、そこで演武を披露させてもらっておりました。型の奉納や子どもたちによる板の試割り、楽しい寸劇なども行ったりします。型にはそれぞれテーマがあるので、子どもたちの演武に合わせて説明をしています。歴史の長い空手道ですので、型にあるテーマも人それぞれに解釈の仕方がありますが、その中でも「観空」と呼ばれる型には仏教に通ずるものがあると感じています。「観空」は手を広げた後、額の上で手を輪の形に作るところから始まります。その輪を通して空を見上げたときに自分の小ささを感じ、今まさに様々な縁の繋がりによってここにいることを確かめることができます。私の中では特別な型なので、演武会では最後に自分で披露させていただいています。

―空手道場を通して地域の輪が広がっていると思います。今後の展望や目標について教えてください。

丸子師 大人が少ない道場ですが、17年継続してきて長く通ってくれている子どもたちは大人となり、その子たちもだんだんに社会人となり中には親となる人もいます。彼らが大きくなったときに地域に根付き、地域を見守ってくれるような体制を作れたらいいな、と思っています。
 続けていますと、道場に通っていた子どもたちが様々な悩みを抱えて立ち寄ってくれることがあります。僧侶として傾聴もしつつ、道場の元生徒には、ミットを持って共に汗をかきながら私のスタイルで対話をしています。道場は辞めたけれども相談に立ち寄ってくれたことで、私自身も人と人との繋がりを実感し、道場を長年継続できている原動力になっています。

(聞き手・文構成/全国曹洞宗青年会副会長 髙栁龍哉)

【久松寺ざぜん塾】
 空手教室(毎週火水木金)
 朝活同好会(夏休み・冬休み)
 お寺でカポエイラ(毎月1回)
 花まつり演武会(年1回)
 報恩作務の日(年1回)
 ともしび地蔵演武会(年1回)
 ハロウィーンカラテ(年1回)
 朝がゆの会 秋ごろ再開予定

引用:曹洞宗宗務庁刊『曹洞宗報』令和5年9月号掲載
全国曹洞宗青年会「テラカツ!〜寺院活性化事例紹介〜」
※年齢・役職等は『曹洞宗報』掲載当時のものです。

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